「なぜこんなにも苦しいのか?」
「どうして何度も
同じことに悩まされるのか?」
多くの人が繰り返し抱えるこの問い。
けれどその答えは、
複雑な思考や高度な
スピリチュアル理論の奥深くではなく、
むしろ“静けさ”の中に
隠されているかもしれません。
◆ 苦しみの正体は「自動反応」
私たちは日々、
無意識の“自動操縦”で生きています。
感情が湧き、過去の記憶が反応し、
脳は即座にジャッジを下す――
「これは嫌だ」
「あの人のせいだ」
「私は間違っているのでは」…と。
この無意識の反応こそが、
苦しみの根源です。
つまり、苦しみそのものが
問題なのではなく、
それに“どう反応しているか”が問題なのです。
◆ 立ち止まることは「生まれ変わる」こと
現代社会では、
「動き続けなければ価値がない」
「何かしなければ生きている意味がない」
といった焦燥感が当たり前になっています。
しかし、本当に魂が変容するとき、
それは“何かをしている最中”ではなく、
「完全に立ち止まり、無防備になった瞬間」
に起こります。
まるで、
冬にすべての葉を落とした木が、
春に新しい芽を吹くように。
立ち止まらなければ、
私たちは古い
“自分という思い込み”を
手放すことができません。
◆ 観察するという行為は「真の目覚め」
立ち止まり、
ただ「今」を観察する。
それは何もせず、
ただ“在る”という
存在そのものへの回帰です。
呼吸のリズム、胸の感覚、ふとよぎる思考。
どれもコントロールせず、
善悪も判断せず、ただ見つめる。
この観察者の視点こそが、
私たちを苦しみから解放します。
なぜなら、
苦しみは“私”が
“それに巻き込まれている”ときに
生まれるものだから。
観察している間、
私たちは巻き込まれていません。
それはすでに、
“自由”の始まりなのです。
◆ 人生の本質は「何かになる」ことではない
学校も社会も、
「将来は何になるの?」
「何を達成したの?」
と私たちに問い続けてきました。
でも、
本当の人生の問いはこうかもしれません。
「あなたは、今ここで、
ただ在ることができますか?」
成長や成功を追い求めることが
悪いわけではありません。
けれど、人生で最も深い喜びは、
「何者でもない自分」として、
ただ存在することから生まれるのです。
◆ さいごに:苦しみの中にこそ「気づき」の芽がある
人生に立ち止まり、
痛みとともにそこに“在る”。
その姿勢こそが、
真の変容を引き起こします。
苦しみは、
あなたが目を覚ますために訪れている。
それに気づいたとき、
苦しみはもはや“敵”ではなく、
“師”となります。
だからどうか、焦らずに立ち止まり、
ただ「観る」ことを許してあげてください。
あなたの中にはすでに、
すべての答えがあります。
□佐野直樹さんのメンターである
インドの聖者さん
シュリプリタジとクリシュナジの著書です
4つの神聖な鍵 シュリ・プリタジ & シュリ・クリシュナジ (著)
コメント