宮崎駿が自らを語った“自伝的映画”としての『君たちはどう生きるか』

映画

映画『君たちはどう生きるか』が「訳がわからない」と言われた本当の理由

3つの“読み解き階層”から見る宮崎駿の集大成

2023年に公開された宮崎駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』。
ジブリ作品として大きな注目を集めたにも関わらず、
映画を観た多くの人が
「よくわからなかった」「難解すぎる」と感じたようです。

その“違和感”の背景には、実はこの映画が持つ
**「3つの読み解き階層」の存在が大きく関係しています。

さらに、日本人にはあまりなじみのない
聖書的・寓話的な文脈**や、
あえて説明を省いた宣伝手法も影響していました。

本記事では、
YouTubeチャンネル「Toland Vlog」のサムさんの考察をもとに、
特に“第2の階層”――宮崎駿監督の自伝的視点からの読み解きを中心に、
この作品の真意に迫っていきます。


『君たちはどう生きるか』を理解するカギは「3つの階層」

宮崎駿のこの最新作には、
以下の**3つの視点(読み解き階層)**が存在しています。

● 第1階層:物語そのままをファンタジー作品として見る

少年・眞人(まひと)が母を亡くし、
異世界を旅するという冒険ファンタジーとして、
表面上のストーリーをそのまま楽しむ層です。
多くの観客はこの見方だけで終わり、
「話の筋が見えない」と戸惑いました。

● 第2階層:宮崎駿自身の人生と重ねる“自伝的作品”として読む

この作品は、ただのフィクションではありません。
実は、宮崎駿監督の創作人生、恩人たちとの関係、
自らの内面世界を反映した極めて個人的な物語です。

今回の記事では、Toland Vlogのサムさんによる考察をもとに、
この“第2の階層”に焦点を当てて解説していきます。

● 第3階層:作品全体に込められた“深層メッセージ”を読む

人類への問い、創造と破壊、引き継がれる意志…。
この層は、神話や聖書、生命の循環といった普遍的なテーマに触れる
哲学的・スピリチュアルな視点です。

日本人にはあまりなじみがなく、
多くの観客にとって“訳が分からない”と感じた要因の一つでもあります。


第2階層で読み解く:登場人物と“実在のモデル”

映画に登場する多くのキャラクターは、
宮崎駿監督の人生に登場する“実在の人物”をモチーフにしていると考えられます。
以下の表は、Toland Vlogのサムさんの見解をもとに整理したものです。

登場人物モデル人物 / 意味合い解説
眞人(まひと)宮崎駿の理想の少年像本作の主人公。内に怒りや葛藤を抱えながらも、成長と選択を通して「創造者」としての自己を形成していく。宮崎自身の“少年時代の理想像”を重ねている。
アオサギ鈴木敏夫プロデューサー嘘つきでずる賢くもあり、時に導く存在。長年のビジネスパートナーであり、宮崎作品を外から支えた「影の功労者」。
大叔父高畑勲監督孤独な塔の主であり、次の世界の“引き継ぎ”を迫る存在。宮崎駿にとって創作の師であり、葛藤の相手でもあった。
インコ大王宮崎駿本人の“等身大の姿”傲慢で自己中心的、支配欲が強い存在。クリエイターとしての“エゴ”や“欲望”を象徴している。
母・ヒミ宮崎駿の実母若くして亡くなるが、眞人にとって大きな存在。病弱だった実母の影響が、宮崎作品全体に色濃く投影されている。
父親(工場経営者)宮崎駿の実父軍需産業に関わっていた父親をモデルに。正義と矛盾の象徴的存在。宮崎駿にとって、愛しつつも批判的な対象。

このようにして読み解くと、単なる寓話ではなく、
創作者・宮崎駿の苦悩と決断、そして魂の成長の物語
であることが見えてきます。


事前宣伝“ゼロ”、スポンサー“ゼロ”――本作の異例な背景

この作品には、
通常のジブリ作品とは一線を画す、異例の制作背景がありました。

  • 事前宣伝ほとんどなし
  • スポンサーなし、自主出資で制作(約100億円、自己資金)
  • 宮崎駿作品として過去最長の制作期間(約7年)

これは、ジブリとしても異例の方針です。

つまり、本作は
「誰にも口出しされずに、宮崎駿が“本当に伝えたいこと”だけを描いた作品」
であり、完全なる“遺言的な作品”であるとも言えるのです


まとめ:これは“宮崎駿という人間の決意”を描いた作品だった

『君たちはどう生きるか』を深く理解するには、
ストーリーを追うのではなく
“読み解く”視点を持つことが必要です。

特に、今回紹介した第2の階層―
自伝的視点からの読み解きは、
この映画の根幹にある

「宮崎駿という人間の叫び」と「決別」
を浮かび上がらせてくれます。

Toland Vlogのサムさんの考察は、
まさにその深層を言語化してくれる貴重な視点でした。

そして何よりこの作品は、
スタジオジブリが“高畑勲”という存在によって成り立っていたことを、
宮崎駿自身が深く自覚し、
そのことに一つの“区切り”をつける物語でもあります。

高畑勲という先輩、師匠、ライバル、
そして心から尊敬し大好きだった友人。
その存在に頼り、影響され、創作をしてきた自分を――手放す。

「これからは、誰かの作った世界ではなく、
自分のいるべき世界で、自分がやるべきことをしながら歩んでいく。」

この映画には、そんな宮崎駿の魂の決意が静かに、
そして確かに刻み込まれています。

そして最後に投げかけられるこの問い――

「君は、どう生きるか?」

それは、眞人=宮崎駿の内なる問いであり、
同時に、私たち自身が答えなければならない
人生の問いでもあるのです。

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